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⑧麻績駅家から桑原治田神社まで
麻績駅家の場所は諸説あり不明であるが夜叉が池(現在の聖湖)付近を通り亘理駅家方面に向かった事は確かである。平安時代までは会田立峠付近が筑摩郡と更級郡の境界であった。築北中学旧体育館角の立石から北へ、宮川に沿って善光寺道を上がると右手に梶浦があり古道も確認され、真米の地名は駅馬を囲っておく馬籠と想定される、古い市野川神社、弘法清水お仙の茶屋跡等の史跡が東山道支道であったことを今に伝えている。猿ヶ馬場峠からは、ほぼ善光寺道に沿った古道であるが⑦で説明したとおり、のぞきからは中村川に沿って下り宿の原で善光寺道と合流したと考えられます。本ルートの根拠は中原神社が在り、南向きで中原集落を背にして祀られている事、この付近に上平沢遺跡があることから推測すると昔は神社を中心に山側に住居があったと思われます。
責任者 川西地区振興連絡協議会 山口 盛男
平沢池から古道を上る一行
中原の耕地を潤す平沢池
上平沢遺跡から見る中原神社、左前方は現在の中原集落
東山道支道と和田家土塀(手前で善光寺道に合流)