長楽寺 満月ライブへの思い
長楽会 宮城恵美子さん
千曲市長楽寺にて、これまでにおよそ80回以上の満月ライブを開催してきた長楽会(ちょうらくかい)。
今では常連さんやファンも多く、毎月の開催を楽しみにしている方が多くいるイベントになっています。
長楽会を立ち上げた宮城恵美子さんは、創業1909年 漬物や佃煮の製造販売を行う有限会社宮城商店(木の花屋)の専務取締役。
今回は宮城さんが宮城商店を営むうえで大切にしていること、長楽会を立ち上げた経緯、そして満月ライブへの思いなどを伺いました。
月の都へのおもいを語る
宮城さんはもともと千曲市出身ですが、一度地元を離れUターンしたとお聞きしました。
幼いころから千曲市で生まれ育ちましたが、若い頃はこの地に閉塞感を感じて、東京に憧れていました。
大学進学を機に東京に出た私は、微生物の研究を行い、卒業後はマーケティングやブランディングの仕事を担当しました。ただ研究しているときも働いているときも、心のどこかに”地元に戻ろう”という気持ちがありました。
28歳のとき、当時、私が憧れていた企業マンズワインが放映していたCMの表現”風土への回帰”のように、私も地元に回帰しようと思い千曲市に戻りました。
地元に回帰されてから、今日まで東京で学んだことを活かして経営や地域活動などを行ってきたと思います。
改めて千曲市の魅力はどんなところにあると思いますか。
豊かな自然、自給自足のライフスタイル、これらがあるのはとても幸せなことだと思います。
回帰してすぐの頃、俳句が好きな義理のおじいさん(宮城商店の2代目)に連れられて長楽寺を訪れた時、「縁起」の中の木花咲耶姫のことを知りました。そのときに“ここで何かやりたい!”と直感的に思いました。
満月の美しさ、ステージ、ブランドの名前にもなっている木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の民話と舞台など素晴らしい資源がたくさんある。こういった場所があることも地域の魅力です。
長楽寺で満月ライブを開催する前から、宮城さんにとって長楽寺は大切な場所だったんですね。
今日まで続けられている満月ライブはどのような経緯で始めることになったのですか?
私はクラシックやジャズが好きで、2003年頃から木の花屋でコンサートを主催していました。
そんなある日、のちに長楽会の発起人になるキーパーソンのギタリスト 吉川忠英さんから、木の花屋でライブがやりたいと連絡がありました。しかし私は忠英さんが演奏するフォークソングがわからなかったので、1度断ったんです。
ただ、その少し後に別の場所で行われたコンサートに足を運んだら、出演者がたまたま忠英さんでした。名刺交換をして “あ、あのとき断られたお店の人だ!” と(笑)
それがキッカケでうちでもライブを行うようになりました。
忠英さんと親しくなった2009年、なんとなく長楽寺からの月の写真を送ったところ“実は僕はすごい月が好きなんだ、ぜひ長楽寺でライブをやろう”という話に。
それがちょうど東日本大震災後で、みんなの心のよりどころになるような機会もあったらいいなと考えていたので、長楽寺での満月ライブが始まりました。
満月ライブが開催されるようになるまでに、紆余曲折があったんですね。
満月ライブでは、本サイトに団体紹介が載っているさらしな棚田バンドが前座として演奏したり、長楽寺の奥様が料理を振舞ったりと多くの人が関わる行事になっています。
宮城さんは、どのような思いで満月ライブを続けてこられたのでしょうか?
実は満月ライブは利益がない仕組みになっています。
参加費はいただきますが、忠英さんの思いを大切にし、檀家さんがいない長楽寺さんへのお布施としています。
私は、この仕組みがいろいろな人が関わり互いに助け合いながら、よりよいイベントにしようという気持ちにつながっているのかなと感じています。ブランドもイベントも続けることに意味があると思っているので、ふるさとが好きという思いと、必要だと思う人がいる限りは頑張りたいですね。
インタビューを通して、宮城さんの言葉は前向きな言葉にあふれていました。
流れに身を任せ、時代や状況にあわせてしなやかに形を変えながら、本当に大切にしたい部分の芯は通っている。そんな宮城さんがいたからこそ、長楽寺の満月ライブは台風19号の災害も、新型コロナウイルスも乗り越えて継続できるのだと感じました。
新型コロナウイルスの影響で休止している満月ライブは、できれば夏ごろに再開したいとのこと。
興味関心のある方は情報をチェックし、機会があればぜひご参加ください。