⑯寄り道「佐野薬師堂」
桑原宿西方、山を背に点在する集落が佐野であります。この地域は遺跡が多く先住民が早くから住み着いた事が理解できる。西行法師が訪れた地、薬師堂は薬師如来を祀られ近郷近在より眼病の人が多く訪れたことで有名。
木曽義仲が横田河原の戦いに向かう途中に陣を構えた場所とも言われている。名所の佐野不動滝、戦国時代の山城である佐野山城址、四季を通して自然を満喫できる場所でもあります。
下記に西行法師旧蹟の碑の内容を記す。
佐野の地に西行の訪れたことは、選集抄に書かれており、当桑原及び神城と下高井にもあって、おのおの当佐野であると主張している。関長昭と交友のあった上野の国学者飯塚久敏は、文久の初めの三月桑原の佐野に遊び、証の碑文を撰し、長昭の子長堯(ナガタカ)が中心となって現在設置されている碑を建てたものである。
西行法師旧蹟の碑
「しなのゝ国の佐野のわたりハ 選集抄に見えたる処なれど 或は安曇に在り 或は高井にありなど 里人おもい仝いふめるもたのミがたくて 年頃うち過ぎるほどに 更級の郡桑原の里人関長昭がいへらく吾すむ里のさのゝ地は西の方へあゆミ出れバ けはしき山あ里水きよく流れて 石ほのありやう見る目もめずらかに 絵にかくともこれには似せじと心とまる処なりと 西行法師いわれたるかごとし。行て見なむやとそゝのかすに さらばとてまづ西山にむかひてすこし登りゆけバ 年ふりたる木だちの中に薬師のミ堂おはして ミまえの池ハ水ふかくたゝヘたり 麓のくだりに山門などいふものもありて佐野山長福寺といふみ寺のしめゆふ処なりき そのにしのかたを見れば山のたゝずまひ世ばなれて谷川の音に心もすミつべくおぼゆらん ひがしハうちひらけて千曲河のながれ國原にとうしろし 北はたゝなばる山なり 南にむかへば名ニおへるかふりきの高嶺はいただくばかりにそびえたり あたりは時なくも薄かるがや・をミなへしなど花ことにおもしろく咲ミだれ 虫の音もおのがむき仝鳴わたるべき 秋のあわれもまなこにうかぶやうなりけり さして永歴の末の八月ばかり 彼法師が来りてかしこけなる僧のすミきといひし庵の跡も此あたりにやとおぼしき処もありければ あだし方に心なやりそ さののわたりはきわまりたりといひつゝ 長昭よろづまめやかなる心ぐせにおもひはかりて いまより後ハ世の人のまよはざらむ為にとおしたつるはこの石文にありける 文久のはじめの年三月 上つけの国人 飯塚久敏しるす」
責任者 川西地区振興連絡協議会 山口 盛男