月の都を巡る

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武水別神社コース

武水別神社たけみずわけじんじゃ

武水別神社は「八幡宮」とも呼ばれ、地元では「お八幡さん」と親しまれた神社です。
更級郡さらしなぐんにあった延喜式内社えんぎしきないしゃ11社の中で大社と記載されていますが、創建年代等は不明です。社伝によれば、神社の創建は第8代孝元天皇年間(紀元前)、主祭神は武水別大神たけみずわけのおおかみとされています。その後、安和年間(平安時代)に京都の石清水八幡宮から誉田別命ほんだわけのみこと息長足比売命おきながたらしひめみこと比咩大神ひめおおかみの三神が勧請され祀られています。現在の本殿は、間口9.2メートル、奥行11.7メートルあり、長野県内の神社本殿の中では大規模なものです。天保13年(1842)の火災後、諏訪の宮大工立川和四郎冨昌により嘉永3年(1850)に再建されたもので、建物のいたるところにたくさんの彫刻で飾られ見所が多い本殿です。
毎年12月10日から15日には、五穀豊穣に感謝する新嘗祭にいなめさいが行われます。「大頭祭だいとうさい」と呼ばれるこの祭りは、氏子から選ばれた5人の頭人とうにんによって新穀を神社にお供えする行事です。斉ノ森神社から武水別神社まで大門行列が練り歩き沿道の見物人に「御供」と呼ぶミカンや菓子などが宝船からまかれ賑わいます。翌晩に、神前に供える「御供積み」と呼ぶ儀式が5日間にわたって行われます。この行事は400年以上一度も休むことなく続けられています。
神社の西側の道路を挟んである武水別神社神官の屋敷は、四方を堀と土塁に囲まれた戦国時代の居館です。代々神主を務めてきた松田家には、近世から近代の神社に関する貴重な資料が多数保存され、現在公開されています。

武水別神社 本殿
武水別神社 松田邸
大頭祭

大雲寺だいうんじ

天正3年(1575)に本寺の龍洞院によって再建され、八幡山 大雲寺と改めたとされる曹洞宗の寺院です。堀を思わせる前池の奥に高い石垣を築き本堂が設けられ、一見するとお城のような古刹です。春の桜、夏の蓮の花、秋の紅葉、冬の雪化粧をした松の木など、いつ訪れてもその景色を楽しめることから、一帯は「長野県の自然100選」に数えられ、長野県郷土景観保全地域に指定されています。
お寺の裏手にある霊靜山れいじょうざんには、ユニークな石仏が立ち並んでいることで有名です。明治中頃、修験系の講社が北川原権兵衛によって開かれました。養蚕が盛んになると、明治25年(1892)に蚕影社こかげしゃ(茨城県)を勧請し信者を集めました。多数の石仏に交じって猫神の石仏が2体残っています。猫神は、蚕の繭をネズミが食べることから、繭を食い荒らすネズミの天敵であるネコを守護神として祀ったものです。

大雲寺 蓮の花
大雲寺 桜
霊靜山 石仏

長野銘醸ながのめいじょう

元禄2年(1689)に造り酒屋「和田酒店」として創業し、現在千曲市内では唯一の造り酒屋です。今でも棚田と同じ水系の湧水を使い純米酒が造られ、「姨捨正宗」の銘柄で親しまれています。 酒蔵等は江戸時代末期の建物で、大正5年(1916)に建築された事務所棟とともに、国の登録有形文化財に登録されています。また、屋敷入口の老松は、江戸時代の「善光寺道名所図会」に描かれている七曲松ななわだのまつ、まさにその松です。

コースマップ

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