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冠着山(姨捨山)は「元火山」

日本遺産「月の都千曲」の主要構成遺産である冠着山(姨捨山)。その姿から火山だと思う人もいます。本当のところはどうなのか。信州大学名誉教授(地震学)でさらしなルネサンス理事の塚原弘昭さんが、そんな疑問に答える授業を6月13日、麓の更級小学校(千曲市羽尾、旧更級村)でしました。6月25日に冠着山登山を予定している5年生の事前学習の授業。冠着山は「元火山」だそうで、塚原さんは大きな模造紙の手書きの図解を何枚も張り出し、分かりやすく説明しました。

「元火山」の意味は、かつて溶岩が噴き出したことがあったけれど、長い年月の間に、溶岩が冷え固まり、さらに風雨で頭頂部が深く削られ、噴火していたときの姿ではなくなっているという意味です。

ホワイトボードに張り出した手書きの図解(時間経過は右から左へ)をご覧ください。約600万年前、更級地区の奥深くでマグマができて、割れ目を通って上昇し、噴火が始まりました。500万年前に噴火が弱くなり、マグマも冷え固まっていきます。そして490万年をかけて削りに削られ、10万年前に現在私たちが見る冠着山の姿(左端)になったそうです。

つまり、噴火していた「原始冠着山」は、今の冠着山よりずっと高く、高かった分の山の土や固まった溶岩はふもとに崩れたりしてしているわけです。

5年生の教室から見える冠着山

図解の右から3列目と4列目には溶岩の道がそれぞれ3本描かれていますが、真ん中は冠着山の頂上への道で、ほかの2本は現在の児抱岩(ぼこだきいわ)と屏風岩(びょうぶいわ)に至る道です。600万年前の溶岩が露出して、冠着山の特長となっています。

百万年、10万年という時間の感覚はちょっとわかりづらいです。塚原さんは、二本足で歩くことができる人類(ホモサピエンス)がアフリカで誕生したのが約200万年前であること、そして縄文人が冠着山の麓に住み始めたのが約5千年前であることを紹介しました。

質問の時間では、手がたくさん上がり、時間切れで打ち切らざるをえないほどで、子どもたちの興味、関心が高いテーマであることが分かりました。人間の寿命をはるかに超える長い大地の営みと歴史は、年齢に関係なくロマンを掻き立てるものであると思いました。

塚原さんは5年生と一緒に25日、冠着山に登ります。また質問がたくさ出ることでしょう。

冠着山の成り立ちについての塚原さんの文章もあります。次をクリックしてください。https://sarashina-r.com/?p=1555&embed=true#?secret=nyiDmBCJvY#?secret=ls5BKWtL7E

児抱岩については次をどうぞ。

(さらしなルネサンス・大谷善邦)

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