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⑪稲荷山宿
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桑原宿を後にして一路佐野川に沿って稲荷山宿へ、旧善光寺道は小坂、元町付近を通り塩崎長谷へと向かっておりましたが稲荷山城が築かれ宿場、市が繁栄するにつれて治田方面へと移った。稲荷山宿入口に「右西京街道 左八幡宮道」の道標があります。明治・大正には商都として栄え、善光寺地震による火災も重なり宿場の面影は想像できませんが高札場付近、鉤の手である糀屋田中家は当時の面影を残しています。
責任者 川西地区振興連絡協議会 山口盛男
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左西京街道道標
桑原宿を後にして一路佐野川に沿って稲荷山宿へ、旧善光寺道は小坂、元町付近を通り塩崎長谷へと向かっておりましたが稲荷山城が築かれ宿場、市が繁栄するにつれて治田方面へと移った。稲荷山宿入口に「右西京街道 左八幡宮道」の道標があります。明治・大正には商都として栄え、善光寺地震による火災も重なり宿場の面影は想像できませんが高札場付近、鉤の手である糀屋田中家は当時の面影を残しています。
責任者 川西地区振興連絡協議会 山口盛男
左西京街道道標