月の都の歴史

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日本遺産とは

「日本遺産(Japan Heritage)」は、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定したものです。 ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的にしています。

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日本遺産「月の都 千曲」
~ 姨捨の棚田がつくる摩訶不思議な月景色「田毎の月」~

日本遺産「月の都 千曲」
姨捨の棚田がつくる
摩訶不思議な月景色「田毎の月」

日本遺産 ストーリー

長野県千曲市ちくましは東西から迫る山の間を
南北に千曲川ちくまがわが流れる狭長な地形に位置し
古来、人びとが行き交ってきた交通の要衝の地です
 
千曲川の左岸にひときわ高くそびえる
冠着山かむりきやま (古くは「姨捨山おばすてやま」と呼ばれた)の麓は
更級さらしなの姨捨山に照る月」「田毎たごとの月」と呼ばれ
古くから月見の名所として知られてきました
 
ストーリーは下の図に示すように
 1 月見にまつわる『古人の「遊び心」』
 2 棄老物語や棚田の耕作などの『先人の「暮らしの知恵」』
 3 伝統を継承しつつ『今に生きる「月見の地」』
の3つの柱のもとに「月の都 千曲」を紹介しています

ストーリーの3つの柱

1 古人の「遊び心」

月の名所・和歌・俳句
摩訶不思議な「田毎の月」の光景を描いた浮世絵と錦絵

2 先人の「暮らしの知恵」

棄老物語
姨捨の棚田耕作
月に関わる信仰

3 今に生きる「月見の地」

伝統的な「月見の地」
新たな「月見の地」

日本遺産 ストーリー

長野県千曲市ちくましは、東西から迫る山の間を南北に千曲川ちくまがわが流れる狭長な地形に位置し、古来、人々が行き交ってきた交通の要衝の地です。
千曲川の左岸にひときわ高くそびえる冠着山かむりきやま(古くは「姨捨山おばすてやま」と呼ばれた)の麓は、「更級さらしなの姨捨山に照る月」「田毎たごとの月」と呼ばれ、古くから月見の名所として知られてきました。
ストーリーは下の図に示すように
1.月見にまつわる『古人の「遊び心」』
2.棄老物語や棚田の耕作などの『先人の「暮らしの知恵」』
3.伝承を継承しつつ『今に生きる「月見の地」』
の3つの柱のもとに「月の都 千曲」を紹介しています。

ストーリーの3つの柱

1 古人の「遊び心」

月の名所・和歌・俳句
摩訶不思議な「田毎の月」の光景を描いた浮世絵と錦絵

2 先人の「暮らしの知恵」

棄老物語・姨捨の棚田耕作・月に関わる信仰

3 今に生きる「月見の地」

伝統的な「月見の地」・新たな「月見の地」

1. 古人の「遊び心」

憧れの月の名所

「我が心慰めかねつ更級(さらしな)姨捨山(おばすてやま)に照る月を見て」と平安時代の『古今和歌集(こきんわかしゅう)』に詠われた更級の姨捨山は、現在の冠着山(かむりきやま)です。
当時、この地には信濃国から京の都に通じる主要な道「東山道(とうさんどう)」の支道が通り、麓には古代の役所である更級郡衙(さらしなぐんが)が置かれていました。ここを通る人びとにとって、姨捨山はランドマークであり、照る月を仰ぎ見て都から遠く離れた心情を和歌に詠んだことでしょう。
また、和歌を通して姨捨山を知った京の都人らは、未だ見ぬ姨捨山に照る月を見たいと思うとともに寂しさや哀れを想い浮かべたことでしょう。
「はるかなる月の都に契りありて秋の夜すがらに更級の月」と詠った、『新古今和歌集』の選者で鎌倉時代の歌人藤原定家(ふじわらのていか)は、この地を「月の都」になぞらえて称賛しました。

鏡台山に昇る月

江戸時代に、松尾芭蕉(まつおばしょう)は姨捨の月を見に来て、棄老物語を題材に「おもかげや(おば)ひとりなく月の友」と詠み、『更科紀行(さらしなきこう)』を著しています。芭蕉は鏡台山(きょうだいさん)から昇る月を詠んだのでしょう。鏡台山は、月を鏡に、山は鏡を載せる台に見立てて名づけられた山です。
姨捨の長楽寺(ちょうらくじ)には、芭蕉の来遊以降、芭蕉の歩いた所を巡る文人や墨客が多数訪れました。境内には「芭蕉翁面影塚(ばしょうおうおもかげづか)」の碑をはじめ、たくさんの歌碑や句碑が建てられ、彼らの月への想いと姨捨の「月の都」としての特質が伝わってきます。

摩訶不思議な「田毎の月」

5月下旬、田植えの前後に水が張られた大小さまざまな棚田に月が映ります。この光景は、「田毎(たごと)の月」と呼ばれ、この地域ならではの月見の表現です。 江戸時代の浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)は、すべての水田に月が映る摩訶不思議な情景を浮世絵に描きました。この浮世絵によって、「田毎の月」のイメージが広く人びとに伝えられることになりました。
実際には、一目ですべての棚田に映る月が見えることはなく、畔道を歩きながら目を移せば次々に田ごとに映った月影を見ることができるのです。
「田毎の月」が書物に現れるのは、戦国時代に越後の武将上杉謙信(うえすぎけんしん)が川中島合戦の戦勝を祈願した願文(がんもん)が最初です。
棚田の背後の姨捨山に照る月を麓の更級八幡宮(武水別神社(たけみずわけじんじゃ))から仰ぎ見た時の光景を、山の背後から阿弥陀如来が現れた情景として「田毎満月之景(たごとまんげつのけい)」と表現しています。
当時の狂言本『木賊(とくさ)』にも、信濃国の名所の一つとして「田毎の月」が登場します。

揚州周延作「更科田毎の月」
< 揚州周延作「更科田毎の月」>
実際の「田毎の月」
< 実際の「田毎の月」>
歌川広重作「更科田毎月鏡台山」
< 歌川広重作「更科田毎月鏡台山」>

2. 先人の「暮らしの知恵」

棄老物語

平安時代の『大和物語(やまとものがたり)』や『今昔物語集(こんじゃくものがたり)』には、年老いた母を山に捨てる棄老の山として登場します。「姨捨山」という地名の響きと月への想い(寂しさ)が重なったのか、姨捨山の棄老は史実であるかのように語り伝えられてきました。
棄老物語は親孝行を説く説話・文学であり、京の都人によって創り出されたものです。古くは『続日本紀(しょくにほんぎ)』に、更級郡の建部大垣(たけべのおおがき)が親孝行であったために税を終身免除されたことが記されています。このような物語や史実は、やがて父母や古老の知恵を大切にし、感謝する教えを育むものとなりました。

藤原信一作「教訓画譜 姨捨山之図」
< 藤原信一作「教訓画譜 姨捨山之図」>

姨捨の棚田

今見る「姨捨の棚田」は、先人の知恵や努力によって斜面が拓かれ棚田となったものです。江戸時代の初め頃に、豊富な湧水を貯める「大池(おおいけ)」が斜面の上流に築かれ、斜面全体に水田が拓かれるようになりました。
今でも、当時からの水利慣行によって、大池の水(「樋水(ひのみず)」と呼ばれる)で耕作が行われています。

月に関わる信仰

冠着山頂にある冠着神社には月の神、月読尊(つくよみのみこと)をはじめとする神々が祀られ、毎年7月下旬に地元の人びとが祭事を行っています。この時期は、ヒメボタルが山頂に舞い、棄老物語を主題とする謡曲「姨捨」の老女の舞を想わせる幻想的な光景を見ることができます。
武水別神社は八幡神(はちまんしん)を祀っていることから、八幡宮(はちまんぐう)とも呼ばれています。神社と通りを隔てた広大な神官の屋敷や、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となった神宮寺跡や、その末寺の佇まいが良く残り、神仏習合であった神社の姿を今に伝えています。
中秋の満月の頃、9月14日に神社で仲秋祭(ちゅうしゅうさい)が行われ、毎年6~7地区の獅子舞神楽が奉納されます。仲秋祭は、神宮寺の放生会(ほうじょうえ)に由来するといわれています。
12月10日から15日には、戦国時代から記録が残る「大頭祭(だいとうさい)」と呼ぶ新嘗祭(にいなめさい)が賑やかに行われています。祭りや棚田の耕作は、地域の絆を育んでいます。
稲荷山の伝統的建造物群をはじめ市内の街かどには、「二十三夜塔」と刻まれた約50基の石碑が建てられており、かつて月待ちの行事が盛んであったことを物語っています。月待ち行事は、信心の仲間が集まって月の出を待って祈願する行事で、石碑は行事を記念して建てられたものです。

 武水別神社の中秋祭
< 武水別神社の仲秋祭 >

3. 今に生きる「月見の地」

伝統的な月見の場所

長楽寺(ちょうらくじ)は芭蕉の来遊以降、多くの人びとが鏡台山に昇る月を愛でるようになり、月見の行楽地となりました。
江戸時代の旅人菅江真澄(すがえますみ)は、境内の「姨石(おばいし)」と呼ぶ高さ20mの大きな岩の上に人が登り、鏡台山から昇る月を眺め、歌会や月見の宴を開いている様子を『わがこころ』に書き残しています。
宴の様子が残る『善光寺道名所図会』には、長楽寺から望むことのできる山や岩などの見所が「姨捨十三景」として紹介されています。その中には、境内の姨石・桂の木・宝ヶ池をはじめ、中景の更級川・雲井橋、遠景の冠着山・鏡台山・千曲川などがあり、俳句に詠まれた場所がみられます。
毎月、満月の前後には長楽寺月見殿でコンサートが開かれ、月と音楽の夕べを楽しむことができます。
また、中秋の満月の前後には、長楽寺を中心に観月祭が行われており、境内は月見や吟行をする人びとで賑わいます。

伝統的な月見の場所 長楽寺
< 伝統的な月見の場所 長楽寺 >

新たな月見の場所

標高547mに位置するJR姨捨駅のプラットホームからは、千曲川対岸の山並みから昇る月を眼の高さに望むことができ、絶好の月見の場所であり、まさに「月の駅」といえるでしょう。急傾斜地に設けられた駅なので、今では珍しいスイッチバック方式でプラットホームに入ります。列車の車窓からは、長野盆地を見下ろす大パノラマを眺望することができ、日本鉄道三大車窓の一つです。
近年では、高速道路の姨捨サービスエリアが新たな月見の場所として注目され、眺望や夜景を楽しむ人で賑わうようになりました。
名月を見て心を癒し、竹久夢二(たけひさゆめじ)志賀直哉(しがなおや)など文人らも逗留した千曲川河畔の戸倉上山田温泉(とぐらかみやまだおんせん)で疲れを取り、地酒や真っ白なさらしな蕎麦、おしぼりうどん、おやきを味わうのも旅の楽しみです。
月への想いは、時を超えて現代の私たちに伝わり、将来もまた千曲市は新たな「月の都」であり続けます。

月の駅 JR姨捨駅
< 月の駅 JR姨捨駅 >